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鳥取地方裁判所 昭和31年(行)4号 判決

原告 山崎巖

被告 米子税務署長

主文

被告が原告に対して昭和二十九年三月二十七日更正した昭和二十八年度所得金額三十六万六千九百二十五円を金二十五万四百二十五円と変更する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文と同じ趣旨の判決を求める旨の申立をし、その請求の原因として次のように陳述した。

被告は、昭和二十九年三月二十七日、原告に対して、昭和二十八年度所得金額を金三十六万六千九百二十五円と更正して、その頃、その旨通知した。

被告が更正した右金額の内訳は、(一)配当所得金一万五千七十六円、(二)事業所得金七千六十九円、(三)給与所得金二十二万八千二百八十円、(四)農業所得金十一万六千五百円であるが、右の農業所得は、原告に帰属するものではない。その理由は、次の通りである。すなわち、

(イ)  原告は、かつて二十三年間教職にあり、昭和十八年四月退職し、同年九月、鳥取県西伯郡県郵便局(無集配特定局)長に就任し、国家公務員の身分を有するため、兼職を禁止されており、事実上も余事を顧みるいとまなく、自ら農業を経営することができなかつたのである。

(ロ)  もと、原告の父が農業を経営し、原告の妻於幸がその手伝をしていたが、父が老齢に達した昭和十四、五年頃から十数年来(その間、父は、昭和二十三年頃七十九歳で死亡)、於幸が主体となつて現実に農耕に従事しており、自ら新生農業協同組合の組合員となり、生産物を供出し、その代金を受領して同組合に有する自己名義の貯金口座に振替預入をし、その預金または借入金によつて経営上の資金を調達し、飯米以外の農業所得を独占して長女に分配するほか、その経営方針を決定するなど、その経験と技倆は原告の及ばぬところであり、於幸が、原告からは全く独立して、右の農業経営の一切について、支配的影響力をもつて主宰しているのである。そして、於幸は、農業委員の選挙権を有している。郵政省は、原告に対して妻於幸の扶養家族手当の給与、ならびに、所得税の扶養控除を認めない。被告も、また、昭和二十五年の所得税法改正以来、於幸に対しては農業所得につき、原告に対してはその他の所得につき、それぞれ各別に賦課して来たものである。

従つて、右の農業所得は、原告の妻於幸に帰属するものであつて、原告に帰属するものでないことが明白である。

それにも拘らず、右の農業所得が原告に帰属することを前提として被告のなした前記所得金額の更正は、その部分について違法であるといわなければならない。

かようなわけで、原告は、昭和二十九年四月二十四日、被告の前記更正処分について再調査を請求したところ、被告は、同年六月四日、法定控除について訂正し、税額の一部について取消決定をしただけで、原告の右の請求を棄却し、同年六月十五日、その旨の通知をした。原告は、同年七月五日、重ねて被告に対して右再調査決定と更正処分について再調査の請求をしたけれども、被告は、同年八月十七日、原告の請求はすべて理由がないとして棄却した。それから、原告は、同年九月十四日、更に、広島国税局長に対して審査請求をしたのであるが、同国税局長は、昭和三十一年一月二十一日、原告の請求を棄却してその旨通知した。

そこで、原告は、被告の前記所得金額の更正処分の内容を主文のように変更することを求めるため、本訴請求に及んだのである。

なお、被告の答弁事実のうち、原告が妻於幸と生計を一にし、且つ、日常の起居をともにしており、世帯主として、その給料配当等の収入と共に農業生産物の収入によつて家計を立てていること、原告は、於幸の耕作している田畑の所有者であるが、双方間に被告主張のような貸借関係のないこと、原告が勤務時間外や農繁期に現実に農耕に従事することは認めるが、その余の点は否認する。

原告は、妻於幸が直接取得した右の農業による収益を間接に享受するに過ぎず、於幸が右農地について使用収益することは、当初からすでに容認しているところであり、また、原告としては、於幸が経営する事業の手伝として農耕に従事することがあるだけである。

仮りに原告の氏名が農業委員選挙人名簿に登載されているとしても、原告は、実質的にそのような選挙権を有していないのである。

いつたい、被告主張の基本通達は、一方において家族制度の変革に伴い、他方において国民の租税負担の公平を図るため、昭和二十五年の所得税法の改正により、原則として同居親族の所得合算制を廃止したことによる訓令であり、更に、昭和二十八年の所得税法改正によつて、いわゆる実質課税の原則が明確にされたが、これらによると、同居親族間で事業による所得の帰属が不明な場合には、先ず、以つて、その事業に要する資金の調達、事業の経営方針の決定についての支配的影響力の有無を事実に即して実質的に判定すべきものであるにも拘らず、被告は、これを避けて、ただ、原告が、生計を主宰している者とか、事業に供する資産の所有者であるということだけから本件の農業所得が原告に帰属するものと形式的に判定したのに過ぎず、これを基礎とした被告の前記更正処分は、違法であるといわなければならない。

被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する、訴訟費用は、原告の負担とする」との判決を求める旨の申立をし、答弁として次のように陳述した。

原告の主張事実のうち、被告が、原告主張の日時、その主張のように所得金額を更正し、その通知をしたこと、右の所得金額の内訳が原告主張の通りであること、原告が、その主張の日時、被告の右決定について再調査の請求をしたのに対し、その主張の各日時、被告が原告主張のような決定をしただけで右の請求を棄却し、その通知をしたこと、原告が、その主張の日時被告の右決定について重ねて再調査の請求をしたのに対し、その主張の日時、被告が右の請求を棄却したこと、原告が、その主張の日時、更に、広島国税局長に審査請求をしたのに対し、その主張の日時、同国税局長が右の請求を棄却し、その通知をしたこと、原告が二十三年間教職にあつて昭和十八年退職後は鳥取県西伯郡県郵便局(無集配特定局)長に就任したことは認めるが、その余の点は否認する。

被告が、原告の昭和二十八年度所得額を更正するについては、所得税に関する基本通達である昭和二十六年一月一日直所一ノ一国税庁長官通達第一五九号に従い、原告主張の農業所得を原告の所得と判定した上、これに基いて右の更正をなしたものである。すなわち、同通達によれば、「生計を一にし、且つ、日常の起居をともにしている親族のうちの誰の事業所得であるかについては、原則として、当該事業に要する資金の調達をなし、その他の当該事業経営の方針の決定につき支配的影響力を有すると認められる者が何人であるかにより判定するものとする。この場合において、その者が何人であるか不明であるときは、生計を主宰していると認められる者がその者であるものとする。但し、左に掲げる場合においては、次に掲げる当該他の親族を、次に掲げる所得の所得者とする。(中略)(二)生計を主宰していると認められる者が、会社、官庁等に勤務し、又はもつぱら漁業等に従事し、他の親族が主として農耕に従事し、農耕用の田畑の所有権者若しくは賃借権者であり、且つ、当該農耕事業の名義者である場合における当該農耕から生ずる所得(後略)」とあり、本件のように同居親族間の事業による所得の帰属が不明な場合には、先ず、その事業に要する資金を調達し、その他その事業の経営方針の決定について支配的影響力を有すると認められる者、それも不明であれば、生計を主宰していると認められる者に帰属することになり、たとい、生計を主宰していると認められる者が他に所得があつて、同居の親族が主として農耕に従事しているからといつて、その親族が農耕用の田畑について所有権若しくは賃借権を有しない限り、その親族には帰属しない趣旨である。ところが、本件では、その事業に要する資金を調達し、その他その事業の経営方針の決定について支配的影響力を有すると認められる者が何人であるかも不明であるから、結局、生計を主宰していると認められる者に帰属することになるが、それについては、収益の享受という経済的な面と事業に供する資産の所有名義を考慮して判定すべきものである。その場合、本件では、

(イ)  原告は、妻於幸と生計を一にし、且つ、日常の起居をともにしており、世帯主として、その給料、配当等の収入と共に、農業生産物の収入によつて家計を立てておるのであるから、原告が右の農業による収益を享受してその生計を主宰している者といえるのである。

(ロ)  原告は、於幸が耕作していると主張する田畑の所有者であるが、双方間に賃貸借または使用貸借のいずれの関係も存在しないし、勤務時間外や農繁期には現実に農耕に従事し、農業委員の選挙権を有し、昭和二十八年度産米を供出しているほどであつて、於幸は、ただ夫である原告の農業経営上の仕事を担当執行しているに過ぎないのである。

(ハ)  原告のみが右農地の公租公課、昭和二十八年度村民税を納付しているのである。

かような事情があるで、前記通達の趣旨に照らして、原告主張の農業所得が生計の主宰者である原告に帰属するものといえるのであつて、被告は、これに基いて原告の昭和二十八年度所得金額を更正したわけである。

昭和二十五年の所得税法改正以来、於幸が農業所得につき、原告がその他の所得につき、それぞれ各別に申告納税したものであつて、被告としては、調査が不十分であつたために、昭和二十七年度まで於幸に対して農業所得につき課税したのであるから、賦課後五年以内にこれを更正することができるのである。

従つて、被告がなした本件所得金額の更正処分には何等違法の点はないから、その変更を求める原告の本訴請求は失当である。

(立証省略)

理由

被告が、昭和二十九年三月二十七日、原告に対して、昭和二十八年度所得金額を金三十六万六千九百二十五円と更正して、その頃、その旨通知したこと、被告が更正した右金額の内訳が、(一)配当所得金一万五千七十六円、(二)事業所得金七千六十九円、(三)給与所得金二十二万八千二百八十円、(四)農業所得金十一万六千五百円であること、原告が、昭和二十九年四月二十四日、被告の右更正処分について、再調査を請求したところ、被告が、同年六月四日、法定控除について訂正し、税額の一部について取消決定をしただけで、原告の右の請求を棄却し、同年六月十五日、その旨の通知をしたこと、原告が、同年七月五日、重ねて被告に対して右再調査決定と更正処分について再調査の請求をしたけれども、同年八月十七日、原告の請求はすべて理由がないというので棄却したこと、そこで、原告が、同年九月十四日、広島国税局長に対して審査請求をしたが、同国税局長が、昭和三十一年一月二十一日、原告の請求を棄却して、その旨原告に通知したことは、当事者間に争がない。

ところで、右の農業所得の帰属について考えてみなければならない。いつたい、昭和二十五年改正の所得税法によれば、一方において家族制度の変革に伴い、他方において国民の租税負担の公平を図るため、在来の同居家族の所得合算制を原則として廃止した。更に、昭和二十八年改正の同法によれば、いわゆる実質課税の原則が明確にされた。これらの趣旨によれば、所得の帰属は、各個具体的な事実に即して実質的に判定しなければならないことであつて、例えば、夫であるとか、世帯主であるとか、資産の所有者であるからといつて、その者に所得が帰属するときまつたものではないから、これにとらわれてはならないのである。所得税に関する基本通達である昭和二十六年一月一日直所一ノ一国税庁長官通達第一五九号は、同居親族間の事業による所得の帰属を判定するための基準を示した訓令に過ぎないが、改正所得税法の右のような趣旨に従つて運用されるべきものであることはいうまでもない。右の通達においても、前記のような所得の帰属が不明である場合には、第一に、その事業に要する資金を調達し、その他その事業の経営方針の決定について支配的影響力を有すると認められる者に帰属するものと判定し、その者が不明な場合、第二に、生計を主宰していると認められる者に帰属するものと判定することになつているのである。

それでは、実質的に本件の農業を経営してその収益を享受する者が何人であるかを判定する目的で、先ず、右の農業の経営に支配的影響力を有すると認められる者が何人であるか、この点についてしらべてみることにする。ところで、この判定にあたつては、いやしくも旧家族制度における家長中心乃至男性優越の観念にとらわれるようなことがあつてはならないことは勿論であるが、所謂社会の通念というものも、其が右の観念を払拭し切れていない限りにおいては無批判に之を受け容れるべきではないこと、そして農業殊に米麦の生産を主とする農業においては、その経営は飽くまで耕作に関する技術と労働を中核として決定せられることに留意することが必要である。

そこで諸々の事情を検討してみるのに、原告が、かつて二十三年間教職にあり、昭和十八年四月退職し、同年九月、鳥取県西伯郡県郵便局(無集配特定局)長に就任し、現在まで引続いてその職に在ること、けれども原告が妻於幸と生計を一にし、且つ、日常の起居をともにしており、世帯主として、その給料配当等の収入と共に、農業生産物の収入によつて家計を立てていること、原告が、於幸の耕作していると主張する田畑の所有者であるが、双方間に賃貸借または使用賃借のいずれの関係も存在しないこと、原告が勤務時間外や農繁期に現実に農耕に従事することは、当事者間に争がないが、成立に争のない甲第四号証から第六号証まで、同第八号証、乙第二号証、後に掲げる各証拠によつてそれぞれ成立を認め得る甲第九、第十号証、同第十二号証の一、二、証人影山嘉重、山岡太一、後藤宗の各証言、原告本人訊問の結果によれば、もと、原告の父が農業を経営し、原告の妻於幸がその手伝をしていたが、父が老齢に達した昭和十四、五年頃から十数年来(その間、原告の長男は戦死、父は昭和二十三年頃七十九歳で死亡)、於幸が主体となつて現実に田六反六畝四歩、畑約三反歩の農耕に従事していること、そして、平素は、長女、次男の嫁に手伝わせ、農繁期に他から人を傭うことがあるに過ぎないこと、於幸は、昭和二十五年頃から新生農業協同組合の正組合員となり、供出米代金を受領して昭和二十七年頃から同組合に有する自己名義の貯金口座に振替預入をし、その預金で農業用資材、器具、肥料等の取引をしていること、当時の県村農業委員会は、於幸に対して供出量の割当をしていること、於幸は昭和二十八年十月二十九日、同年度陸稲糯玄米二俵、同年十一月二十日、同年度水稲粳玄米二十八俵を各供出したこと、於幸は、飯米以外の農業所得を独占していること、原告は、於幸が右農地について使用収益することを当初からすでに容認しており、自分自身は、於幸の手伝として農耕に従事する程度に過ぎないこと、また、県村では、於幸について農業所得を認め、昭和二十六年、二十七年、二十八年と村民税を賦課したことが認められる。以上の事実に本件口頭弁論の全趣旨を綜合して考えてみると、原告の妻於幸が現実に農耕に専従し、村、農業委員会、農業協同組合との対外関係において於幸が農業に関する権利義務の主体となつているばかりでなく、原告としても、農業に関する限り、その経営を於幸に全く一任していることがうかがわれる以上、右の農業に要する資金を調達し、その他その事業の経営方針の決定について支配的影響力を有するのは於幸であつて、同女こそ右の農業から生ずる収益を直接享受するものであり、原告は、ただ生計主宰者として、妻が一旦享受した収益について、更に、間接にその一部を取得するに過ぎないことを認定でき、被告が提出援用したすべての証拠によつても右の認定を動かすに足らず、他に格別反対の証拠は存在しない。かような場合には、たとい、原告が、夫であり、世帯主であり、前記田畑の所有者であるからといつて、必ずしもその農業所得を原告に帰属するものとみなければならないものではなく、むしろ、於幸の所得に属するものとみるのが相当である。(乙第一、第八号証等によると、類似の案件においても、夫が隔地に勤務起居する場合には分離課税するのが税務官庁の方針のようである。成程、かような場合は夫が農業主宰者でないことは明らかである。然し、反対の場合反対の推定が成立つ訳のものではない。)

そうだとすれば、被告が原告の昭和二十八年度所得金額のうちに右の農業所得金額十一万六千五百円を含めて金三十六万六千九百二十五円となした更正処分は、その部分について違法であるといわなければならない。

従つて、被告が原告に対してなした右の所得金額更正処分の金額を金二十五万四百二十五円と変更することを求める原告の本訴請求は、理由があるものといえるから、認容すべきものである。

そこで、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条の規定を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 胡田勲 浜田治 古市清)

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